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哀れな女に鎮痛剤を、、、 [日頃の話、、、]

鎮静剤
マリー・ローランサン(堀口大學訳)

退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。

忘れられた女.jpg

LE CALMANT
Marie Laurencin

Plus qu'ennuyée Triste.
Plus que triste Malheureuse.
Plus que malheureuse Souffrante.
Plus que souffrante Abandonnée.
Plus qu'abandonnée Seule au monde.
Plus que seule au monde Exilée.
Plus qu'exilée Morte.
Plus que morte Oubliée.


マリー・ローランサンは1883年にパリのお針女の私生児として生まれました。19歳の時に磁器の絵付けの講習を受け、やがて画塾アカデミーアンベールに通います。そこでピカソと共にキュビスムを創始した芸術家ジョルジュ・ブラックと出会い、彼の引合いでモンマルトルのピカソのアトリエ、バトー・ラヴォワールに出入りするようになります。そこで詩人アポリネールと恋に落ちます。
後に2人は別れますが、その後も文通を続けていました。5年後ローランサンは結婚します。アポリネールは軍隊で大怪我をした後、別の女性と結婚した後スペイン風邪でこの世を去ります。出会いから11年が経過していました。
アポリネールの死から38年後、ローランサンはパリで心臓発作のため亡くなります。埋葬は白い衣装に赤いバラを手にアポリネールからの手紙を胸の上に置いて、、、ローランサンの遺志通りに行われました。
「鎮静剤」は結婚したばかりの夫でドイツ人画家、オットー・フォン・ヴェッチェンとスペインに亡命し、アポリネールの結婚と死の知らせを受けた頃です。

“哀れな女”というのはローランサン自身だったのかも知れません。しかし最も哀れな「忘れられた女」ではありませんでした。アポリネールがスペイン風邪のため亡くなった時、その枕元にはローランサンが描いた名作「アポリネールと友人達」が架けられていたのです。

この詩に加川良が曲を付けて”親愛なるQに捧ぐ”の中で歌っています。Youtube

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